
第1話
桜色のころ
桜の花びらが路上を舞っていた。
桜色のショートボブが、風に揺れている。
ヘッドフォンを首に掛けたまま、信号を待つ。
ワコは、青信号に気づかずにいた。
ふと、懐かしい声が聞こえた気がして振り返る。
通り過ぎる、見知らぬ人たち。
ヘッドフォンで耳を塞ぎ、高校へ向かって歩き始めた。
桜色の季節が、まだ遠かったあの日。
「ワコ、青信号だよ」
振り返ると、スケボーを抱えた少女が微笑んでいた。
金色の髪が、白い息の中に霞んでいた。
「おはよう、アーコ」
「スケボーは、うまくいってる?」
「いろんな、トリック覚えたよ」
「もっと、うまくなりたい」
「頑張ってるんだね」
「ワコ、美術の高校、受かりそう?」
「学科はA判定。あとは実技次第だね」
「推薦、決まってる人はいいよね」
「頑張りましたからね」
「フフッ、まさかスケボーで推薦、決まるなんてね」
「ワコ、部活が終わったら、一緒に帰ろう」
「遅くなるよ」
「教室で待ってるから」
「うん、また放課後」
遠ざかって行く背中。
いつも一緒だったのに。
あの頃のように、となりで絵を描いてくれないの?
本当に伝えたいことは、いつでも胸の奥。
ワコは、教科書をふせて、ぼんやりと窓の下を眺めていた。
寒空の下、まだ蕾の桜が春を待っている。
ノートの隅に、小さな桜の花を描く。
退屈な英文が、着飾られる。
窓に、そっと触れる。
外側の空気の冷たさが、指先に流れてくる。
花が開く頃には、違う道へ進んでいる。
冷たさが移った指先で、ページを捲る。
小さな桜は、隠れてしまった。
足元に積もった花びらが、風で舞い上がる。
胸のコサージュが旅立ちを祝福していた。
昇降口の外に、アーコがスケボーの仲間たちといるのが見えた。
バッグの中には、一枚の水彩画。
いつも隣にいてくれたアーコを描いた絵。
この絵を渡して、もうお別れにしよう。
ワコは、一歩を踏み出した。
桜霞を背に、アーコがほほ笑む。
「ワコ、卒業おめでとう」
「うん、アーコもおめでとう」
景色が滲んでしまう。
躊躇っているワコに、アーコは一枚の絵を差し出した。
イーゼルへ向かう、桜色の髪の少女。
「久しぶりに描いたから、下手くそだけどさ」
「頑張ってるワコを、いつも見ていたから」
ワコは、そっと絵を抱きしめた。
舞い散る桜の花びらが、ワコの目に映る。
「私も絵を描いてきたんだ」
「もらってくれる?」
バッグの中の絵は、もう別れの絵ではなかった。
花びらは、静かに舞い続けていた。